アンティーククレクションの魅力

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●アンティーククレクションの魅力

アンティークブーム

昭和50年頃になって、日本には徐々に西洋の生活様式が入り始めました。
昭和60年代には、いわゆるバブル経済が開花し、国民の懐も豊かになると「骨董」が再認識されるようになりました。

テレビでも「開運!なんでも鑑定団」という番組の影響もあって、「骨董」はファッションになったのです。

元来骨董と言えば、日本、朝鮮、中国などのアジアの品物を指していましたが、バブル期になって西洋の骨董に興味を持つ方が増えてきました。

一般的には「西洋アンティーク」と呼ばれているものです。

文字道理、西洋の骨董品を蒐集することで、食器、人形、ガラス器、絵画など、多岐に渡っています。

このコーナーでは、人気の西洋アンティークをご紹介いたします。

・陶磁器

◆マイセン

1820年ドイツ東洋からもたらされた白磁は、17世紀ごろの西洋社会では憧れの芸術品でした。
各国が競ってその製造開発に乗り出し、ザクセン選帝侯兼ポーランド王のアウグスト2世も錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを幽閉し、白磁を作るように命じました。
ベトガーは物理学者・数学者・哲学者エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスらの協力を得て、1709年にザクセン・フォークラント地方のアウエ鉱山のカオリンを原料とした白磁の製造に成功した。アウグスト2世はこれに大満足し、西洋磁器の歴史の幕が開けました。

翌1710年、ドレスデンに「王立ザクセン磁器工場」が設立され、硬質磁器製造の独占権が与えられました。
これが現在の「国立マイセン磁器製作所」の始まりです。

数ヵ月後に磁器工場は25km離れたエルベ川沿いのマイセン地方・アルブレヒト城の内部に移され、厳重に機密が保持されました。

また、同年1月23日には「ザクセンでは今や東インドと同等の磁器の製造が可能になった」という布告が出ています。

なお、ベトガーは幽閉を解かれることなく、ただちに染付の複製を命じられた。しかしベトガーはこれを果たすことなく37歳で亡くなりました。

近年の研究では、チルンハウスは1704年に既に磁器の焼成に成功していたのではないかとも考えられています。
マイセン
       優雅なマイセン
◆セーヴル

1880年、フランスセーヴル焼(セーヴルやき, Porcelaines des Sevres)は、フランスのセーヴルで生産される磁器です。

ヨーロッパではじめての磁器は1709年にザクセン王国(現・ドイツ)で発明され、その首都ドレスデンに近いマイセンを生産拠点としました。
その技師だったデュポア兄弟は当時のフランスの大蔵大臣・オリー・ド・フリビーに招かれ、1738年、パリの東端に位置するヴァンセンヌに窯を構えました。

この後ルイ15世の公妾ポンパドゥール夫人の援助を受け、パリとヴェルサイユの中間に位置するセーヴルの町に移って王立窯となりました。

フランスでは軟質磁器が作られていましたが、1766年にリモージュ近郊でカオリン鉱床が発見されたのを受けて、1796年には硬質磁器が作られました。
開窯の経緯からフランス革命時にセーヴル窯は破壊されて閉窯しましたが、ナポレオン1世によって再興され、1824年には国立セーヴル陶磁器製作所が作られて現在にっていまする。

セーヴル焼は豊かな彩色を駆使したロココ様式の絵画表現による装飾が最大の特徴です。
よって1枚の値段が大変高く高級な磁器です。
ここでフランスの磁器生産技術が発達し、後にはリモージュへ技術が渡り、リモージュ焼は量産磁器として普及しました。

ポンパドゥール夫人のために建てられた広い城館を改造したフランス国立陶芸美術館がトラムのセーヴル駅のすぐそばにあり、現在ここで美しいセーヴル焼をはじめ数々の磁器を鑑賞することが出来ます。

   王室をイメージするセーヴル

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