アンティーククレクションの魅力

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◆ロイアルウースター

1751年のイギリス、ウィリアム・ディヴィスが経営者となり、化学者かつ医師のジョン・ウォール博士が技術面の指導をし、15人の株式出資者によってイングランド西ミッドランズ地域のウスター市にウースター磁器会社として創業されました。

1752年、ソープストーン(ステアタイル)を素地に混ぜて軟質磁器を作ったブリストル工房を合併する。ソープストーン磁器ペーストは、非常に薄く処理することができるので、食器用に大変適しており事業の拡大に貢献しました。

以後、釉薬の上にエナメルカラーの絵付けを施す高度な技術や、銅版画転写法の技法により大量生産を可能にしました。
こうして高品質と生産性を両立させ、1789年にジョージ3世より、英国の陶磁器界で初のロイヤル(王室御用達)の称号を得ました。

以後、現在までロイヤルの称号を途切れることなく受け続けている唯一の窯で、現存する英国最古の名窯です。

1800年頃にはボーンチャイナの生産にも成功。
1810年にグレンジャー社を買収し、同社が保有していた東洋的な青龍のデザインも承継しました。

代表作「ペインテッド・フルーツ」はウースター最高の工芸品です。
フリーハンドによる絵付けと焼成を6回繰り返す。
さらに特殊技法で施す22金を11時間もかけ、研磨し輝きを引き出す工程は、歴史と伝統の技です。
ロイヤルウースター
  アールヌーボー調のロイヤルウースター

・ガラス

◆ガレ

1800年後期のフランス、シャルル・マルタン・エミール・ガレ(Charles Martin Emile Galle、)は、アール・ヌーヴォーを代表するフランスのガラス工芸家、陶器・家具のデザイナー、アート・ディレクター、企業経営者。

シャルル・ガレの家庭に生まれる。
リセでは優秀な成績をおさめ、特に詩には深い造詣を見せていました。

ドイツ、ヴァイマールに留学し、詩、文学、哲学、植物学、鉱物学、建築学、装飾美術をおさめました。
植物学においては大家となり、今日においても植物学者としての存在は大きな力を残しています。

当時の美術界をゆるがしたジャポニズムの先導者、また象徴主義の原動力として、その功績は 画家ギュスターヴ・モローと並んで、19世紀末フランスの代表的芸術家として、その名をとどめています。

1901年、「エコール・ド・ナンシー」(ナンシー派)の会長に就任。

現在、残された作品の芸術性の高さは、比類なきものと、今日また世界的に再評価されています。
ガレ
       芸術的なガレの作品

◆ミューラー

1920年フランス、ミューラーは、モーゼル地方で生まれました。
(フランス東部、ドイツまでの一帯。戦争によって国境がよく変わったため、フランス国境内でもドイツ語が交錯する町です。ミューラー兄弟が生まれた時はドイツ領内でした)
モーゼル地方で生まれた男9人女一人、合計10人兄弟という大家族の兄弟贅員がガラス工芸作家という珍しい家族です。

当初、兄弟はフランスのクリスタルメーカーとして有名なサン・ルイガラス工場で働いていました。
しかし、普仏戦争(1870-71)がはじまったため、兄弟はフランスのリュネヴィルに疎開。
1885年頃、兄弟のうち、デジレとウジェーヌの2人がガレの工場に入り、ガラス作家としての修練を積みます。また、他の兄弟もそれぞれガラス職人の研鑚を積むことになりました。

その後アンリ、ピエール、ヴィクトールは兄に続きガレの工場に参加し、当時最先端のガラス技法や様式を学びます。
ガレの工房では、工業地帯に近いこともあり、さまざまな薬品を使って最新の釉薬や技法の研究が盛んでした。
1895年、アンリが独立し、リュネヴィルに工房を開設。
兄弟全員が参加してガラス生産を開始したのが、ミューラーの工房のはじままりです。

製品の主流はガレのようなカメオグラスで、一部エナメル彩色のものも製造されました。
この頃のデザインはアールヌーボー様式です。

第一次大戦後はアールデコと呼ばれる様式が主流となり、幾何学的なモダンデザイン、工業生産がしやすいデザインが増えます。
肉厚でフロストガラスにモダンなレリーフを施したミューラーのランプのスタイルはこの頃から1930年代に多く作られました。
ミューラー
    人気のミューラーランブ


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